FULLERVISHー蜜売家枇薬

創作落語の同人グループ・蜜売家一門より、蜜売家枇薬の雑記録です。

代議会書類_本文1

よく晴れた夜には、月が自分が凡ての中心であるかのように美しく勘違いすることが、脳髄や爪の先にまで及ぶ先祖代々の何らかの構造物の蓄積に於いてまでもそれはそれは上物の経験として語り継がれており、そのために狼が大いなる神たる要件はその美しい思い違いによって証明されると聞きます。それが正しいと証明したのが兄です。兄は偉大です。恐らく数年後には常識の範疇として一定のものには兄の功績は教授されることでしょう。ですが兄はあまりにも偉大であり、それが肉親であることはこの上の無い不幸でした。兄を持てたことと兄を持ったことは、威厳であり汚点だったのです。その具体例として、私の前世は神であり、それを証明したのも兄なのです。わたしは神の子で在りながら、元は神だったというのです。なんという酷い罰なのでしょう。そうは思いませんか?わたしは[01-DEN^2]であることという大きな罪を課せられたのです。同時にデンツィルを肉親に持つという最大の罰さえも受けたのです。

わたしの慰めを語るには、[KAN^24]との出会いは欠かせません……彼女との出会いは、家同士の交友という事以上に、親友と心から信じられる者との出会いを表していました。[KAN^24]はわたしの幼馴染であり、もっとも長い時間、わたしと過ごした人物です。彼女の名字は高名な魔術師のものでした。自然科学と云えば彼女の家族の名字が並び、科学者の家である筈のわたしよりも余っ程栄光がありました。誰もが彼女の名字を讃えました。そしてわたしの名字は病になったのです。これは病なのです。人間の脳神経構造で完結するのです。自然科学の家、たり得ないのです。クレッジを学ぶようになったのも、[KAN^24]の影響です。わたしの家は自然科学の家であり、そして虫が嫌いなわたしには家本体に気分を害されるのです。この名字の元に生まれたという罰を、親友の存在により慰めたのです。

もちろん、兄を侮辱は出来ません。そもそも、兄という存在そのものは偉人なのです。デンツィル=フリューリュゲックは浮遊する頭脳文鎮の全ての主です。ですが、そんなデンツィルをわたしは万物の父などと呼ばれることが惨めでしょうがないのです。そう思うわたしのこともまた憐れに思われたいのです。そう思う権利を有していると思われたいのです。しかしわたしは、デンツィルのことを「数学者という病に臥したもの」という哀れなものとして周知させようなどと、そう考えてしまったのです。実に防衛的な思考回路です。しかし、[code-3の鯉鼠]だけはこれを信じました。[code-3の鯉鼠]だけはわたしをフリューリュゲックの名字を背負った憐れなものとしながらも、デンツィルとは無関係の、只のぼんくらの出来損ないと認めたのです。それはわたしにとって至上の救いでした。

「故きを尊び新しきを疑う」

これはわたしの名字たるフリューリュゲックの所謂"宣誓"でした。そして同時に言い訳でした。この家が古きものであり、新しく燦然たる輝かしきものに圧されゆくことを認めず、価値を付与せんとしている足掻きの呪文です。わたしはこの言葉だけはオイデン=フリューリュゲックとして愛しています。わたしの名字は変わる予定がないからです。逃げているのです。逃げるための口上が古来より続いていることに安眠しているのです。

だからこのことについてどうか聞いてください。わたしものでは無い口からわたしを物語ってください。それを[code-3の鯉鼠]に依頼したのがきっかけで、[01-DEN^2]たるわたしは、オイデン=フリューリュゲックに戻れる可能性を萌芽させたのです。