FULLERVISHー蜜売家枇薬

創作落語の同人グループ・蜜売家一門より、蜜売家枇薬の雑記録です。

ネクロティースプーン

それはティースプーンでふた掬い分くらいの「おもいつき」がきっかけでした。

犬も食わないそれのなれの果ての産物が目の前に転がっていたのを、僕は正気で見ていられるはずもありませんでした。要するに瘴気に当てられていた僕は、正気を取り戻したくて仕方がありませんでした。

だから、僕と彼女の共通の趣味の、紅茶を、二人で色々な店へ、色々な国へ、出掛けては集めた紅茶のうちの一つを、ふるえる手で作って、飲もうとしていたのです。

ティーカップ一杯分の熱い絶望を飲み干した時に目に入った、目に入ってしまった、その時見た彼女がどうしても妖艶だったのは神の悪戯なのではないでしょうか。

手を伸ばせば彼女に触れられることくらい、当然の事実ではありましたが、触れられる彼女に元の体温は残されていないこともまた公然の事実でした。けれど彼女に触れることが、僕の前世から与えられていた使命のようにすら思えたのです。

熱い紅茶よりもずっと冷たい彼女の指が僕を誘うのが悪いのです。

いつものように髪を撫でてやっただけなのに手が深紅に染ってしまった時、僕の中で何かが終わりました。

ティーポットは一人分の紅茶を残していました。彼女に飲むかどうかと尋ねる必要はいま、ないのです。だからそれは僕が飲むための紅茶でした。僕と彼女を結ぶものとして、たとえ愛が一時冷めた時であっても、それをまた柔らかく温める紅茶がいつだってありました。だから、温くなる前の紅茶が僕と彼女を結ぶのだと、火照る身体のどこか理性ではない場所が主張していました。だから、彼女には「まだティーカップ1杯分の紅茶が残っていること」は分かってもらえるべきで、だから僕と彼女でその遺された紅茶を分けようとして、今日は君の好きなミルクティーだからと、ティーカップに見えた彼女に与えました。

彼女は、僕の淹れたミルクティーをたいそう好んでくれましたが、彼女はミルクティーそのものはあまり好んで飲むことはありませんでした。僕の淹れるミルクティーが善いと言うのです。そう言うのだから、紅茶が好きな僕は、僕の淹れるミルクティーを味わう彼女を愛したのです。

彼女は一瞬だけティーカップでした。僕と彼女がお揃いで使っていたティーカップよりは少し容量がないようで、拭えない紅茶が零れてしまいました。彼女は冷めた紅茶を少し腹腔に流したのみで、ミルクティーは深紅に混じるように零れていきました。

ぬるくなった紅茶よりもさらに冷たい彼女の肢体は、いつもよりも愛おしく、狂おしいほどに愛すべきものでした。正気を取り戻したい僕を支配する狂気を、冷めて冷たくなった紅茶には解けませんでした。

冷めて冷たくなった紅茶は彼女そのものでした。また紅茶は僕と彼女を結びつけてくれるのではなかろうか、そんな縋るような思いも聞いているのはティーセットだけでした。

笑っちゃうくらい笑えない話でした。

彼女と僕は紅茶がないと繋がれないのだと、僕は何度気付いたことでしょうか。僕に彼女が出来たことは、紅茶を一緒に飲むことくらいでした。所謂高嶺の花とでも言うべき彼女と僕が繋がっていたのは紅茶を好む趣味がただ綺麗に複雑に絡み合って適っていたからと言うだけの話でした。

だから僕は冷めた肢体を投げ出す彼女を、彼女とは結局は紅茶がないと繋がれないのだという現実から目を背けるために、ただひたすらに強引に乱雑に抱きました。ティーカップに見えたその肢体を、死体だと思わないために、吹いた泡をミルクティーだと勘違いできるよう体液で満たし、凍るように冷たい四肢を愛撫し舐め回し、真紅に染った髪の毛を撫でては、萎れていく身体を必死に抱き締めました。

自分がただ憐れになるほど、僕は必死に、死んでいく彼女を犯していました。

紅茶はもう冷め切っていました。彼女の身体はもう凍ったように冷えて動かなくなりました。

僕が理性を持っているのならば、僕は彼女を意思のないティーカップにすることも、こんなに乱暴に乱暴することもなかったのだろうと思うのです。

かき混ぜられた紅茶を眺めながら僕は青ざめて震えていました。多分今、悪いのは「衝動」でした。これを抑えるものの名前がおそらく「理性」でした。ティースプーンひとすくいくらいの「きっかけ」が「理性」を阻害したのです。彼女の赤く濡れた髪の毛は膠のようになっていましたが、それすら愛おしく思えるほどには「異常」でした。

冷えきったティーカップから中身を捨てました。そして彼女を残して僕は上着を羽織りました。僕にはもっと冷たい空気が必要でした。紅茶よりもずっと冷たい空気が必要でした。

早くしないと彼女は、大嫌いだった虫に憑かれてしまうからと、僕は早足で現実に飛び込みました。